長寛2年(1164年)、平清盛は一門32人を率いて厳島神社に参詣し、豪華絢爛な装飾写経「平家納経」を奉納しました。
その冒頭に記された願文(がんもん)は、清盛自らが筆を執ったものです。
そこには、なぜ平家納経を奉納するのか、厳島神社への信仰がどのように始まったのか、そして清盛が何を祈り、何に感謝しているのかが、真摯な言葉で綴られています。
願文は漢文で書かれていますが、その内容を丁寧に読み解くと、清盛という一人の人間の、深い信仰心と家族への愛情が浮かび上がってきます。
厳島神社への深い帰依
願文は、清盛の厳島神社への敬意の表明から始まります。
弟子清盛敬って白(もう)す。
・・・伏して惟(おもん)みるに安芸の国、伊都伎嶋の大明神は、・・・厥(そ)の霊験威神、言語道断たる者なり。
「私、清盛が謹んで申し上げます。安芸国の厳島の大明神は、その霊験と神威は、言葉では言い表せないほど尊いものです」
清盛はまず、厳島神社の神威の偉大さを讃えます。それは、形式的な敬語ではなく、心からの畏敬の念が感じられる言葉です。
夢のお告げと家門の繁栄
続いて、清盛は自身と厳島神社との深い因縁について語ります。
是に於いて、弟子本因縁ありて、専ら欽仰を致す。利生掲焉(けちえん)たり。
久しく家門の福縁を保ち、夢感誤りなく、早(すみや)かに子弟の栄華を験す。
「私は厳島神社と深い因縁があり、ひたすら信仰してまいりました。その霊験は明らかで、我が家は長く繁栄を保ち、夢のお告げの通り、子供たちも栄華を極めました」
ここで清盛が語る「夢感」とは、安芸守に就任した際に見た、高野山の老僧の夢と、巫女の神託のことです。「汝、末は従一位太政大臣に至るべし」という予言は、この願文が書かれた時点で、すでに実現しつつありました。
清盛は、自分の出世だけでなく、「子弟の栄華」――重盛、宗盛をはじめとする息子たちの繁栄をも、厳島神社の加護によるものと感謝しているのです。
この世の願いは満たされた
そして、清盛は感謝の言葉を続けます。
今生の願望已(すで)に満ち、来世の妙果宜しく期すべし。
「この世での願いはすでに満たされました。来世での幸福も、きっと得られるでしょう」
この一文には、清盛の達成感と、同時に来世への祈りが込められています。武士として前人未踏の太政大臣にまで上り詰め、一門を繁栄させた清盛。しかし彼は、現世の栄華だけでなく、来世の幸福をも求めていました。
それは、仏教的な世界観であり、平安貴族の価値観でもありました。清盛は武士でありながら、深く仏教を信じ、来世を思う心を持っていたのです。
観世音菩薩の化身としての厳島
願文は、厳島神社の本質について語ります。
相伝えて云う。当社は是観世音菩薩の化験なり。
「言い伝えによれば、この厳島神社は観世音菩薩の化身です」
神仏習合の思想に基づき、厳島神社の祭神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、観世音菩薩と同一視されていました。清盛にとって、厳島神社に祈ることは、観音様に祈ることでもあったのです。
高野山の僧の教え
さらに、清盛は信仰の原点を振り返ります。
又、往年の比(ころ)、一沙門有り。弟子に相語りて曰く。
菩提心を願うの者は、この社に祈請(きせい)せば、必ず発得すること有り。
斯(こ)の言を聞きし自(よ)り、偏に以って信受す。帰依の本意、蓋し茲(ここ)に在り。
「かつて、ある僧が私に語りました。『悟りを求める者は、この厳島神社に祈れば、必ず願いが叶う』と。この言葉を聞いてから、私はひたすら信じてきました。私が厳島神社に帰依する理由は、ここにあります」
この僧とは、清盛の夢に現れた高野山の老僧のことです。清盛は、この神秘的な体験を生涯忘れず、厳島神社への信仰の原点としていたのです。
法華経と観音の一体性
願文は、奉納する経典の意義について述べます。
・・・説きて経と為る。是を妙法と謂う。二十八品、顕れて人と為る。これを観音と謂う。
「説かれたものが経典となり、これを妙法蓮華経といいます。二十八品が顕現して人となったもの、これを観音といいます」
法華経と観音菩薩は一体である――清盛は、法華経を書写し奉納することが、観音信仰そのものであると理解していました。これは当時の仏教思想に基づく深い信仰です。
一門32人の結晶
そして、平家納経の制作過程が語られます。
是を以って弥報賽(いよいよほうさい)を致して、浄心を発さんと欲す。
妙法蓮華経一部二十八品、無量義・観普賢・阿弥陀・般若心等の経、各一巻を書写し奉り、便(すなわ)ち金銅篋(はこ)一合に奉納して、これを宝殿に安置す可し。
「ますます報恩の心を尽くし、清らかな心を起こしたいと思います。法華経二十八品をはじめ、無量義経、観普賢経、阿弥陀経、般若心経などを各一巻ずつ書写し、金銅の箱に納めて、宝殿に安置いたします」
一族の総力を結集
そして、この一大事業に携わった人々の名が記されます。
弟子並びに家督三品武衛(かとくさんぽんぶえい)将軍、および他の子息等、兼ねて舎弟将作代匠(しょうさくだいしょう)、能州・若州の両刺史、門人家僕、都盧(すべて)卅二人、各一品一巻を分ち、善を尽くし、美を尽くさしむる所なり。
「私と、嫡男の重盛将軍、他の息子たち、弟である経盛、教盛、そして一門の者たち、合わせて32人が、それぞれ一巻ずつを分担し、善を尽くし、美を尽くして書写しました」
ここに名を連ねるのは、平家一門の主だった人々です。清盛、重盛、宗盛、知盛、重衡、経盛、教盛、頼盛――後に平家物語に登場する人物たちが、それぞれ筆を執り、一巻ずつ写経したのです。
一族の心を一つに
清盛は、この共同作業の意義を語ります。
花敷蓮験(かふれんげん)の文、吾が家の合力(ごうりき)より出でたり。玉軸綵牋(ぎょくじくさいせん)の典、一族の同情より成る。
蓋し、広く功徳を修し、各利益を得んが為なり。
「美しく装飾された経典は、我が家の協力によって生まれました。玉軸に綵牋を用いた典雅な経巻は、一族の心を一つにして成し遂げられたものです。これは、広く功徳を積み、それぞれが利益を得るためです」
平家納経は、清盛個人の発願ではなく、一門全員の祈りの結晶でした。それは、平家一門の団結の証でもあったのです。
年々の法要の誓い
願文は、今後の法要についても誓います。
二年の天、暮秋の候、自ら宝前に参り、敬みて華偈(けげ)を講ず。
明年より始め、将に卅講を修せんとす。以って年事と為し、失墜す可からず。
「長寛2年の秋、私自ら神前に参り、敬って法華経を講じます。来年からは、30回の法要を修します。これを年中行事とし、決して絶やすことはありません」
清盛は、平家納経を奉納するだけでなく、毎年法要を続けることを誓いました。それは、厳島神社への永続的な帰依の表明でした。
願文が語るもの
この願文は、単なる奉納の記録ではありません。
そこには、清盛という一人の人間の深い信仰心、一門への愛情、そして平家繁栄への感謝と祈りが込められています。
武士として頂点に立ちながら、清盛は謙虚に「弟子清盛」と名乗り、神仏の前にひれ伏しました。現世の栄華に満足せず、来世の幸福を願いました。そして、一族全員で心を一つにして、美しい経典を作り上げました。
この願文を読むとき、私たちは清盛の人間性の深さに触れることができます。
平家物語は清盛を「驕れる者」として描くこともありますが、この願文が示すのは、むしろ敬虔で、家族思いで、来世を思う、一人の信仰者の姿なのです。
願文全文(読み下し)
弟子清盛敬って白(もう)す。 伏して惟(おもん)みるに安芸の国、伊都伎嶋の大明神は、厥(そ)の霊験威神、言語道断たる者なり。 是に於いて、弟子本因縁ありて、専ら欽仰を致す。利生掲焉(けちえん)たり。 久しく家門の福縁を保ち、夢感誤りなく、早(すみや)かに子弟の栄華を験す。 今生の願望已(すで)に満ち、来世の妙果宜しく期すべし。 相伝えて云う。当社は是観世音菩薩の化験なり。 又、往年の比(ころ)、一沙門有り。弟子に相語りて曰く。 菩提心を願うの者は、この社に祈請(きせい)せば、必ず発得すること有り。 斯(こ)の言を聞きし自(よ)り、偏に以って信受す。帰依の本意、蓋し茲(ここ)に在り。 説きて経と為る。是を妙法と謂う。二十八品、顕れて人と為る。これを観音と謂う。 是を以って弥報賽(いよいよほうさい)を致して、浄心を発さんと欲す。 妙法蓮華経一部二十八品、無量義・観普賢・阿弥陀・般若心等の経、各一巻を書写し奉り、便(すなわ)ち金銅篋(はこ)一合に奉納して、これを宝殿に安置す可し。 弟子並びに家督三品武衛(かとくさんぽんぶえい)将軍、および他の子息等、兼ねて舎弟将作代匠(しょうさくだいしょう)、能州・若州の両刺史、門人家僕、都盧(すべて)卅二人、各一品一巻を分ち、善を尽くし、美を尽くさしむる所なり。 花敷蓮験(かふれんげん)の文、吾が家の合力(ごうりき)より出でたり。玉軸綵牋(ぎょくじくさいせん)の典、一族の同情より成る。 蓋し、広く功徳を修し、各利益を得んが為なり。 二年の天、暮秋の候、自ら宝前に参り、敬みて華偈(けげ)を講ず。 明年より始め、将に卅講を修せんとす。以って年事と為し、失墜す可からず。
長寛二年九月 日 弟子従二位行権中納言兼皇太后宮権大夫平朝臣清盛敬って白す。
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